「らー麺たまや零式」ブログ

ついに何年もやりたかったラーメン屋を開店したはいいが、今まで洋食の道で生きてきた自分がどんな感じでやっていくのかを綴ったブログ。

宮城県『麺や遊大』さんでたまや零式インスパイア『黒パイカタンメン』登場!

おはようございます!
長男(4歳)がなんとインフルエンザになってしまい、
保育園をお休みせざるをえなく、私も風邪っぽい症状でお休みをいただいているおかみさんです(´;ω;`)
あ、お店はちゃんと営業しています!!そのへんは大丈夫です!!

今日のブログはたまや零式の宣伝ではありません(笑)
宮城県仙台市の人気ラーメン店『麺や遊大』さんの宣伝です。

先日、たまや零式にいらしていただいた遊大さんご夫婦。
なんと、『黒パイカラーメン』のインスパイア『黒パイカタンメン』を本日30食限定で販売だそうです!
http://ameblo.jp/hiro961426/entry-11858102720.html

残念ながら食べに行けませんが~食べたいなぁ・・・(つд⊂)


さて、フェイスブックで人気コミュニティ『山形ラーメン列伝』さんが食べに来てくれたようですが、
おもしろい数え歌を投稿していただいていたのでコピペ(笑)

【らー麺たまや零式 汁零そば】

美味しさの数え唄

汁零
麺一
具煮
傘参
旨詩
店go!
燦麓
良質
8∞
火(休)
有我頭

汁無し ふぅ~無しぃ
文句無しの旨さ
ごっつおさまでしたぁ♪

かずひこJAPAN


かずひこJAPANさんどうもありがとうございました!!

先日告知しましたゴールデンウィーク代休、27日(火・定休日)~30日(金)いただきますのでどうかよろしくおねがいいたしますm(_ _)m
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  1. 2014/05/23(金) 10:06:48|
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お盆に寄せて

おはようございます。おかみさんです。

熱い日々が続きますが、お体の方は大丈夫でしょうか?

今日は、なかなか余裕も無く今に至ったわけですが、いつかはこのブログに書こうと思っていたことを書きます。長文で、乱筆になり、まとまりのない文章になるかもしれませんがご容赦下さい(笑)


※文中に出てくる「エコー」は青春通りにあった「キッチンエコー」です。
エコーのマスターはオーナーのお父さんで、私の義父に当たります。
オーナーのお父さんは日頃から家族にも「マスター」、お母さんは「専務」と呼ばれています。
「お父さん」「お母さん」より親しみやすいニックネーム的なものとなってます。









2012年3月2日
私はこの日を一生忘れないでしょう。

その日の早朝5時頃か6時頃。まだ外も真っ暗な時刻。
3月30日のラーメン屋開店に向けての準備、打ち合わせ、
まだ継続して営業している「パリ食堂」の送別会シーズンの宴会の営業などで疲れてぐっすり寝ている頃。

アパートの電話が鳴り響く。
こんな早朝に誰だろうと思いながら、受話器をとると
いきなり「エコーが火事!!マスターが行方不明!!すぐ来て!!!」
と叫ぶ声が。
電話で起こされて混乱しながら「は!?」と言うのが精一杯の私にいらだちながら、
「だから!!!エコーが火事!!マスターが行方不明!!すぐ来て!!!」
と同じことを叫ぶ電話の主は三男のたろちゃん(オーナーの弟)の声だと確信しながら、
意識が現実に戻され、事の重大さに驚き、
オーナーをたたき起こし、子供達は残して、すぐ車へ直行しました。

その間、「エコーが火事ってどういうこと???ボヤじゃなくって??」
「マスターが行方不明???どこに行ったの??コンロに火をつけたまま買い物でも行ったの??」
半信半疑の完全にパニックのまま車に乗り込もうとすると、
たろちゃんから携帯に着信。
「マスター、意識不明の重体で見つかった!!!いま山大病院に救急車で一緒に俺行くから、みんなエコーにいるから、後から来て!!」
たろちゃんの声が泣き声に変わっていた。
「え!?マスター、エコーにいたの!???なんで!????意識不明の重体って!!!??」




13号線を南進し、青春どおりのある交差点を曲がる・・・・・・・・・・・
よく見るいつもの青春通りが朝霧のもやの中、無数の消防車の赤色灯で真っ赤に染まっていた。
自分を落ち着かせようとしていた少しの希望のようなものも、
瞬間ふっとび、愕然としながら青春通りをのぼる。

もやの中で赤く回る赤色灯は十台以上の消防車、パトカー、救急車が所狭しと並び、
通りには太い消防ホースが走りめぐらされていた。
ホースの先はもちろん、14年も前からよく知る大好きなキッチンエコー。
車を路駐して、坂道を登ると三男のたろちゃんの奥さんがまだ赤ちゃんのももちゃんを抱きかかえ、
あわてた様子でタクシーに乗り込もうとしていた。
専務や二男のけんちゃんもマスターのいる山大病院へ向かうからと言う。

エコーの見晴らしのいい大きな窓。
その隣の天窓の方から救急隊員たちが壁をハンマーで壊していた。
もうもうと立ち上る黒煙。
「ああ、エコーはもうだめだ・・・・」


14年前に芸工大に入学し、始めたアルバイト先はキッチンエコーだった。
愛知から来た私にとっての居心地のいい我が家も同然のエコー。
昭和33年、児玉正三おじいさんが山形に初めてカツカレーを出し、それを「エコーライス」と呼んだ、
歴史のある店。旅篭町にあった旧店舗を懐かしがる年配の方々にも、
私はよくパリ食堂でお会いすることがよくあった。
私の居心地のいい場だけでなく、山形の洋食界の誇りだとまで思っていた
そのキッチンエコーが燃え盛る炎と消火活動によって壊されていく・・・。


呆然となる私に、「とりあえず山大病院へ行こう」と
再度車に乗るように促され、急行する。

マスターはすでに集中治療室へ運ばれていて、
家族全員に収集がかけられた。
お医者さんの説明。
火傷は無く、身体は綺麗な状態であるが、一酸化炭素を多く吸い、危険な状態であると。
今日明日がヤマだと。
そんな説明だったと思う。

エコーも火事で全焼し、マスターも意識不明の重体。
まるで天変地異が起こったような、青天の霹靂。
家族全員絶望だった。
それからの日々は、いろんな人達への電話、おしらせ、お店の仕事上の手続き、保険関係、
お見舞い客の対応、家族がいろんなことに追われた。
翌日、大事な友達の結婚式も入っていたけれど、状況が状況なだけに事情を説明して欠席させていただいた。

私達は、あんなことのあった翌日だけど、
パリ食堂を開店した。
なんで、こんな状況で仕事してるの!?と非難される方もいるだろうけれど、
オーナーは「うちのオヤジ(マスター)はじいちゃんが倒れた時も仕事をした。自分がこんな状況になっても、なにやってんだ!仕事しろ!と言うはずだ」と言った。

でも、もちろん毎日仕事の合間をぬって、山大病院へ通った。
状況は思わしくなかった。日に日に血圧も下がっていく。

孫達をかわいがってくれたマスターに手を触りながら、
「マスター、緋萌や諒太やももちゃんにチラシ寿司作ってくれるんでしょ!毎年作ってくれたじゃん!
緋萌たち、楽しみにしてるんだよ!」
「マスター、このままじゃ悔しいでしょ!マスターの作った料理、みんな楽しみにしてるんだよ!また作らなきゃ!作ってよ、食べたいよ」
って色々必死に毎日語りかけ続けたけど、返事は返ってこなかった。


3月15日。
朝、病院から電話が来た。
今日がそろそろ・・・家族全員呼んでくださいという電話だった。
山大病院から一番近いアパートの私達は一番に着いた。
脈拍はほとんど無い状態だった。
マスターの身体はもうほとんど硬いゴムみたいだった。
たまに脈拍が0になり、またちょっと上がる。
早くみんな来て!!と思いながら親族が揃うのを待つ。
家族がそろい、脈拍がもう上がることも無く、ずっと0のままで。
お医者さんに時刻とともに「ご臨終です」の言葉を告げられる。

それまで、マスターが倒れた時も顔色一つ変えずにずっと冷静でいたおばあちゃん(マスターのお母さん)が
「昇ーーー!!!親よりも早く死んでー!!!」と泣き崩れたのを見て、
みんな泣いた。


その後、通夜、葬式の打ち合わせなどがあり、
それと平行して「たまや零式」の開店準備、
「パリ食堂」の撤退の片付けに追われ、
喪主になった長男のオーナーはてんてこ舞いだった。
6年生の緋萌は卒業式がちょうどマスターのお葬式とかぶり、
2歳の諒太は間が悪いことに、みずぼうそうになり、
私は家で諒太と過ごすしかなく、緋萌はせっかくの卒業式なのに、家族のだれにも出席してもらえず、
挙句の果てに、自分の卒業式が終わるとその足で歩いてマスターのお葬式会場に向かうという有様だった。
でも、ちゃんとオーナーは喪主の務めを果たし、
緋萌は孫代表として立派に自分で書いた弔辞を読んできた。

お葬式が終わりひと段落すると、
「たまや零式」の開店まで2週間を切っている。
まだアルバイトの面接、お店の内装工事、調理器具の発注、いろんなことが残されていて、
マスターやエコーが無くなった悲しみも癒えぬまま、
気持ちもグチャグチャのまま、
3月30日の開店に突入した。

私も厳しかったエコーの4年間のアルバイト、自立して9年間のパリ食堂の営業の経験も経て、
ある程度のお店を回す自信はあったつもりだったものの、
初めて直接人を雇って一緒に働くこと、オペレーションの仕方、
ラーメンの配膳、トッピング、全てが上手く行かずぐちゃぐちゃだった。

お客さんは大勢押し寄せるのに、ラーメンが出来上がってこない、トッピングは足りてない、
大盛りと普通盛りを間違える、持って行くラーメンの場所を間違える、お客さんの順番を飛ばす・・・・
上げればきりが無く、ひどい有様で、
私もどうアルバイトを注意していいか分らず、
また、自分も今なにをするべきか、なにを優先させるべきかがわかってない
完全に烏合の衆と化していた。

当然のごとく、ネットにも電話でも苦情は殺到し、
仕込み片付けは毎日深夜3時までかかり、
緋萌は中学に上がったばかりなので6時に起きて毎日弁当作り。
諒太を保育園へつれいていくと、両替のために銀行を回る。
お店を開店させてまた深夜3時に帰る。

マスターには私の家族が一家離散した時も、母親に見捨てられた時も、実家が売りに出された時も、パリ食堂で困ったことがあったときもどんな時もすぐに相談していた。
マスターは私にとって義父だけど、
家族であり、師匠であり、友達であり、とても大切な存在だった。
今回のラーメン屋の開店に向けてもいろいろ相談に乗ってもらっていたし、
これからももちろん乗ってもらうつもりだった。
「たまや零式」を開店した当時は、あまりのことが出来なくて、辛くて、悲しくて、
でも相談したいマスターは死んじゃっていなくて、
仕事中でも思い出して涙が出てきたりしてました。

思ったような仕事は出来ないし、苦情はたくさん来るし、
相談したい大好きだったマスターも死んじゃって、睡眠時間は少なく、仕事量は半端なく、
起きてるのか寝てるのかさえ分からないような状態で、
今まで決して幸福ではなかった私の人生の中でも去年の一年はとても辛い大変な年でした。
一年と言うのは、それ以後もおばあちゃんにガンが発覚したり、近い人が病気になったり亡くなったりなどなど不幸なことが相次いだ1年だったのでした。

今、開店から1年が過ぎ、オペレーションもだいぶよくなり、
常連さんも増えだいぶ安定したお店になってきたようには思います。
お店の中の大きな鏡の上には今はなきキッチンエコーの看板が守り神として鎮座しています。

緋萌も諒太もマスターの知っている小さい子供ではなく、身体も心も成長していくけれど、
そんな感じで「たまや零式」も成長していくのを見守っていってくれると思います。
パリ食堂をやってた時みたいに「おー!やってるか!コーヒー飲ませろ」なんてニコニコしながら、
お店に入ってくるんじゃないかといつも思うんです。









つらつらと長々と書いてしまいました。
ここまで読んでいただいた方ありがとうございました。
なにが言いたい文章なのかまとまり無くてすみません。
キッチンエコーはなくなりましたが、会社はオーナーが受け継ぎました。
キッチンエコーという洋食屋はなくなりましたが、
オーナーがいつか年をとったら小さな洋食屋をしたいと言うので、あの味がいつか食べられるかもしれません。
そんな未来を目指して頑張っていけたらと思います。



  1. 2013/08/22(木) 12:26:43|
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ラーメンとは・・・

久々に休みの日にハイボール飲みながら、
徒然なるままに店のアピールにもならないことでも書いてみるとしますw
何のためにブログやってるのかワケワカメ状態っす!←最近なぜか流行っているワードw
ラーメン毎日作っているとラーメンって何なんだろうなんて一見哲学的で実はワケワカメな疑問が頭の中をよぎったりします。
ちょっと考えてみました。
ラーメンを構成するもの・・・・麺・・・・・スープ・・・・具・・・・・油脂・・・です。

麺・・・・は炭水化物であり、主食なので、まずは麺ありきで考えます。麺は主役として。麺なしじゃあラーメンとは言いません。これも様々ありますが一般的に、小麦粉にかん水を加えた中華麺が一般的になります。このかん水を入れるという過程を初めて発見した人は凄いと思います!!
なぜ入れてみたんでしょう!?納豆を初めて作った人並みにほんと不思議です。

スープ・・・これは鶏がらや豚骨、牛骨などや、店にによっては頭骨、鶏皮、もみじ、豚足等、主に食える肉を取ったあとの副産物であるがらなどを利用してスープが作られますそれを醤油だれなどで味付けしてラーメンスープとなります。

油脂・・・これがなくてはスープが今一映えません。ラーメンには表面に必ずと言っていいほど油脂が浮いています。鶏がらで出汁をとった際に副産物的にとれた油脂から、わざわざ豚の背脂や牛脂を煮込んで作る場合もあります。これらも言わば副産物です。

具材・・・これらは普通は、刻みネギ、メンマ、チャーシュー、ナルト、海苔・・・といったところでしょうか・・・様々な人が様々な工夫をして具材を考えていますが、今は当たり前にある味付け卵をゴロっとラーメンに初めて乗せた人は天才だと思います。これらも大して高い物ではありません。

これらの副産物的な物が結合して主役の麺を引き立てるひとつの料理となります。しかもラーメンは一杯5,600円の価格に抑えなければなりません。
その範囲内で色々工夫して、作るわけです。

ラーメンは大衆食の王道なので、とにかく数を出さないと儲けが出ません。なので、これらを100食、150食分と仕込まなければなりません。

自分が実際にラーメン屋になってみて一番難しいな・・・と感じたのは、例えば試作の段階で、10杯分くらいのスープを取り、具も作り、美味いラーメンを作る・・・・というところまで、簡単とは行きませんが、研究や試作を重ねれば大概は出来ると思います。仲間内で美味い美味いと食べるまでは良いのです。

しかしそれを毎日毎日100食、150食と安定して作るのが難しいな!!!!!ということを痛感しました。

どうにもならないブレが生じたり、味が不安定になってしまったりととにかく気が抜けません。

ラーメン屋の巨匠の映像などを良く目にしますが、ある時見た映像でなんでんかんでんの社長が「スープは生き物だから・・・」
と言っていました。大勝軒の山岸さんが「自分はスープを毎日同じ味に調整する才能に長けていただけだ・・・」的なことを言っていました。自分は最初巨匠だから多少カッコつけた名言的なことも言うでしょう・・・みたいに思っていましたが、まさに実際やってみるとそれらの言葉は本当に的を射ていて、真実だよなやっぱ先人も同じ悩みを持ったんだなと思うとそれこそがラーメン屋を運営するコツコツと毎日努力するということに通じるのかな~~~~~なんてことを思いつつ、大衆料理ラーメンの面白さなんだろうなと感じました。

ブレが生じても、今日はチョイ濃いめだなとか、今日はちょっと油っこいななどと常連さんが変化を楽しめる範囲ならば全然OKだと思うので、頑張って安定に努めます。

自分的にラーメンに面白さを感じるのはやはり副産物的なものと安いモノを使ってどこまで儲けを出しつつ麺を引き立てるような物を安定して出せるかということに終始するんじゃあないでしょうか・・・

で、期待の新人の弟が新しく入社しましたので色々面白いことを今まで以上にやってラーメンマニアに喜んでもらおうと思います。

今進行中なのが、本場の味にさらに近づけるべく無かんすい麺を使った怒ニボ2と、誰もが好む味背脂煮干しラーメンと、冷たいラーメンです。これらをもうドンドン出していきたいと思っています。
最後多少アピールして終わります。では!おやすみなさい!!
  1. 2012/07/04(水) 01:16:05|
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